ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの研究
定価:本體 18,000 円+稅
2002
2002
16世紀後半を生きたあるモンゴル人王侯の事績から、當時のモンゴルの社會、経済、宗教、文化、中國・チベットなど周辺諸地域との関係などの諸問題を考察した。
序論
略號表
凡例
第一章 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジとは
第一節 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジ前史
1.元朝北遷から‘モンゴル’と‘オイラド’の分裂まで
2.アロクタイの活躍―‘モンゴル’の優勢
3.エセンの統一―‘オイラド’の優勢
4.モーリハイの活躍
5.ムスリム王侯の台頭
6.ダヤン=ハーン
7.バルスボルドの右翼支配
第二節 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの生涯
1.家系
2.幼少期・青年期に関するETの記述について
3.第一次オイラド遠征
4.‘シリムジ’進出
5.隆慶の和議におけるセチェン
6.セナェンの西行―『武功録』「切盡黃台吉列伝」より―
7.トグマグ報復戦―ETより―
8.第二次オイラド遠征
9.敗帰後のセチェン
10.ダライラマとの會見に向けて
11.アルタンとダライラマとの會見におけるセチェン
12.萬暦6(1578)年から萬暦9(1581)年までのセチェンの動き
13.アルタンの死とセチェンのトゥメド幹渉
14.ダライラマのモンゴル巡錫におけるセチェン
15.『武功録』「切盡黃台吉列伝」に見える晩年のセチェン
16.セチェンの死
17.略年表
第二章 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの西方での諸活動
はじめに
第一節 トグマグ報復戦と第二次オイラド遠征
第二節 青海居住への努力
1.甘粛と青海地方における寺院建立の要求
2.甘粛における互市の要求
3.アルタンとダライラマとのチャブチャール會見
おわりに
第三章 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの西方進出の理由
はじめに
第一節 オルドス、右翼モンゴルの実狀―隆慶和議のはらむ問題(1)―
第二節 外部俘虜・逃亡者、モンゴル人逃亡者
第三節 右翼モンゴルの貧困層
第四節 右翼モンゴルと中原産品
1.農業生産物(穀類)について
2.鍋について
3.布製品(布類・衣料)について
4.本節のまとめ
第五節 右翼モンゴル諸侯が西を目指す理由
―隆慶和議のはらむ問題(2)―
第六節 西方の魅力(1)―青海の利とは何か―
第七節 西方の魅力(2)―東トルキスタンのオアシス都市方面―
おわりに
第四章 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジの活動と政治的立場
はじめに
第一節 メルゲン死後のオルドス=トゥメン
第二節 シリムジ遠征と仏教に対する態度の変化
第三節 隆慶の和議におけるセチェン
1.隆慶の和議に果たしたセチェンの働き
2.隆慶和議後のセチェンの立場と対明姿勢
第四節 チャブチャール會見とその前後のセチェン
1.チヤプチヤール會見に見るセチェンの動向から
2.トゥメド內部の諸問題におけるセチェンの動向から
第五節 セチェンとボショグト=ジノンとの関係
1.ボショグトのジノン即位をめぐって
2.ボショグト=ジノンとの摩擦
おわりに
第五章 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジと16世紀末モンゴル仏教
はじめに
第一節 アルタンと仏教との接觸
1.最初の仏教との接觸
2.隆慶の和議とアルタンの仏教信仰
3.本節のまとめ
第二節 ホトクタイ=セチェン=ホンタイジと仏教
1.セチェンとヴチル=トゥメイ―仏教との接觸―
2.『武功録』「切盡黃台吉列伝」に見えるセチェンと仏教
3.チャブチャール會見とモンゴル仏教
4.チャブチャール會見後のモンゴルにおける仏教の展開
5.晩年における仏教との関係
―ダライラマの巡錫とオルドスにおける仏教の展開―
おわりに
結論
參考文獻
あとがき
地図1~10
系図1~4
井上 治(いのうえ おさむ) 1963年生まれ。東京都出身。早稲田大學大學院文學研究科博士後期課程修了,博士(文學)。早稲田大學文學部、東京大學文學部、東海大學文學部、専修大學文學部講師。島根県立大学北東アジア地域研究センター研究員、同大大学院北東アジア開発研究科・総合政策学部教授。
主な業績に、『ホトクタイ・セチェン・ホンタイジの研究』(風間書房、2002年)、「モンゴルにおける史書の受容と継承について──『白い歴史』と『蒙古源流』を事例に」(早稲田大学モンゴル研究所編『モンゴル史研究──現状と展望』、明石書店、2011年)、“Old Maps Showing Erdene Zuu Monastery from the Private Archive of Prof. W. Kotwicz.”, in: In The Heart of Mongolia. 100th Anniversary of W. Kotwicz’s Expedition to Mongolia in 1912. Cracow, 2012.