2014年10月2日 星期四

河内良弘: 《滿洲語辞典》




1983年,我在日本京都大學當研修員,選修了河內良老師的滿文課。有一次下課後,和河內老師聊天,他便談到要編一本滿洲文辭典。(註1)1999年,河內老師退休後,將他3年前出版的《滿洲語文語文典》寄了給我,我以為他不會餘力去完成字典的心願了。天曉得三十年後,河內老師居然花了近二十年的時間,獨力完成了這一艱辛的任務,我不得不佩服河內老師的毅力和意志力。《滿洲語辞典是河內老師繼《滿洲語文語文典》後又一力作,是他研究滿文一輩子的結晶。

下面是中、日文有關河內老師《滿洲語辞典》版的報導和訪談錄影。

註1河內老師說編辭典的念頭始自1980年代末應是誤記。見Muse  (Teikoku Databank Historical Museum), vol. 2 (2014.3), p. 3  .

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河内良弘 編著/本田道夫 技術協力
出版社:松香堂書店
出版年:2014年06月
コード:1242p  ISBN/ISSN 9784879746801
価格 32,400円

1937年刊行の『満和辞典』(京都帝国大学満蒙調査会発行)以来、77年ぶりとなる満洲語の辞典。故宮博物院(北京)所蔵史料を中心に、著者が20年の歳月をかけて20余種の文献から集めた語彙約4万語を収録する。本文は横書き。見出し語はメーレンドルフ(P.G.von Mollendorff)の音訳法に従ってローマ字化し、アルファベット順に配列。見出し語のローマ字、満州文字、品詞、番号、日本語訳、見出し語漢訳、出典、(あれば)用例、用例の出典の順で記す。





カルチャーインサイド:絶滅寸前、満州語辞典作りたい!京大名誉教授・河内良弘さん、コツコツ5万語収録も出版未定

毎日新聞 2013年11月29日 大阪朝刊


 中国最後の帝国「清」を建国した満州族(女真(じょしん)族)の公用語だった満州語は今、絶滅の危機にある。そんな中、『満州語辞典』(満和辞典)の編集に情熱を傾ける学者がいる。奈良市在住の京都大名誉教授、河内(かわち)良弘さん(85)。大学在任中から史料(資料)収集に着手し、北京の古文書館などに私費で足を運んできた。硬い岩盤にノミ1本で立ち向かうような作業をコツコツと続けること二十余年。収録数約5万語、約1200ページにのぼる辞典のゲラ校正が今年中に完了する予定という。出版先が見つかっていないのが気がかりだ。【有本忠浩】

 河内さんは、清の前に栄えた「明(みん)」時代の女真史の専門家。「清の太祖ヌルハチをはじめとする満州族は、明との貿易で力を蓄え建国の源にした」

 京大・東洋史学講座では東洋史学の泰斗、故宮崎市定教授らの指導を受けた。大学院時代には、蒙古(もうこ)など北アジア史を専門にする故田村実造教授らの「明代満蒙史料」編集も手伝った。

 「明時代の文献を読むうち、当時の満州族の居住地帯には集落が点在するだけで大都市がないと気付いた。何もない所からなぜ国家が生まれたのか」。興味は広がり、やがて、満州族や満州語を調べるようになった。

 天理大教授時代。同大学長から「満州語を米国の大学で教えてほしい」と請われた。1978年から米・インディアナ大に赴任したが、当時は米国人向けの文法書などは皆無だった。

 唯一、日本にあったのが、37(昭和12)年に編集された『満和辞典』(「京都帝国大学満蒙調査会」発行)。同年には日中戦争が開戦。当時の新聞をはじめ日本中が、満州をユートピア、「王道楽土」と呼んだ。河内さんは「私の周囲も満州熱に感化され渡った人は少なくなかった。辞典は時代環境を色濃く反映して生まれた」。河内さんはこの辞典を基に、文法、用例などを英文にしてテキストにした。

 帰国し、京大教授に就いて以降も事情は一緒。研究者らのよりどころは戦前の『満和辞典』だけだった。「語学研究者の『三種の神器』、文法書、読本、辞典の何一つないことに研究者として暗たんとした」。当の中国でも事情に大差はない、という。

 満州族は2010年の国勢調査で約1000万人。河内さんらによれば、中国国内で暮らす55の少数民族のうち、チワン族に次いで多い。しかし、1911年の辛亥革命で清朝が崩壊した後、満州族は排斥され、49年の新「中国」建国後も自治区や自治州が認められなかった。満州語を母語にする人は高齢化が進み、満州語は衰退の一途をたどっている。

   中国最後の帝国「清」を建国した満州族(女真(じょしん)族)の公用語だった満州語は今、絶滅の危機にある。そんな中、『満州語辞典』(満和辞典)の編集に情熱を傾ける学者がいる。奈良市在住の京都大名誉教授、河内(かわち)良弘さん(85)。大学在任中から史料(資料)収集に着手し、北京の古文書館などに私費で足を運んできた。硬い岩盤にノミ1本で立ち向かうような作業をコツコツと続けること二十余年。収録数約5万語、約1200ページにのぼる辞典のゲラ校正が今年中に完了する予定という。出版先が見つかっていないのが気がかりだ。【有本忠浩】

 河内さんは、清の前に栄えた「明(みん)」時代の女真史の専門家。「清の太祖ヌルハチをはじめとする満州族は、明との貿易で力を蓄え建国の源にした」

 京大・東洋史学講座では東洋史学の泰斗、故宮崎市定教授らの指導を受けた。大学院時代には、蒙古(もうこ)など北アジア史を専門にする故田村実造教授らの「明代満蒙史料」編集も手伝った。

 「明時代の文献を読むうち、当時の満州族の居住地帯には集落が点在するだけで大都市がないと気付いた。何もない所からなぜ国家が生まれたのか」。興味は広がり、やがて、満州族や満州語を調べるようになった。

 天理大教授時代。同大学長から「満州語を米国の大学で教えてほしい」と請われた。1978年から米・インディアナ大に赴任したが、当時は米国人向けの文法書などは皆無だった。

 唯一、日本にあったのが、37(昭和12)年に編集された『満和辞典』(「京都帝国大学満蒙調査会」発行)。同年には日中戦争が開戦。当時の新聞をはじめ日本中が、満州をユートピア、「王道楽土」と呼んだ。河内さんは「私の周囲も満州熱に感化され渡った人は少なくなかった。辞典は時代環境を色濃く反映して生まれた」。河内さんはこの辞典を基に、文法、用例などを英文にしてテキストにした。

 帰国し、京大教授に就いて以降も事情は一緒。研究者らのよりどころは戦前の『満和辞典』だけだった。「語学研究者の『三種の神器』、文法書、読本、辞典の何一つないことに研究者として暗たんとした」。当の中国でも事情に大差はない、という。

 満州族は2010年の国勢調査で約1000万人。河内さんらによれば、中国国内で暮らす55の少数民族のうち、チワン族に次いで多い。しかし、1911年の辛亥革命で清朝が崩壊した後、満州族は排斥され、49年の新「中国」建国後も自治区や自治州が認められなかった。満州語を母語にする人は高齢化が進み、満州語は衰退の一途をたどっている。

 河内さんによると、満州語は、母音が六つで、モンゴル語などと同じアルタイ語系言語。文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語に似ているという。

 京大退官後には、文法書や読本を兼ねた『満州語文語文典』(96年)『満州語文語入門』(共著、02年)などを刊行。残るは大事業の辞典の完成で京大教授時代の終わりごろから志してきた。

 在任中は夏休みを利用して、北京の古文書を所蔵する「中国第一歴史档案館(とうあんかん)」などに毎年通った。文部科学省に研究費を申請しても「緊急性がない」などの理由で認められなかった。一時期、トヨタ財団の厚意にはあずかったが大概は持ち出し。

 北京通いも最初は門前払い。「ここには清朝の政治、経済、外交、生活史などの根本史料(資料)がある。外国人に容易に見せたり、コピーさせたりするはずもない。私は『地獄の門番』と呼んでいました。数年かけて門戸を開いてもらい、次は職員と親しくなり、やがて館長と通じるようになって初めて思いを理解してもらえた」と振り返る。

 データ入力や満州語の字母作りなど技術面では、辞典作りを意気に感じた香川大学経済学部教授、本田道夫さんの助力を得た。河内さん自身、自宅2階の書斎でゲラと格闘しながら、これまでにワープロ、パソコン6台をつぶしてきた。

 傍らで見守ってきた妻伊都子(いつこ)さん(81)は「私の父も哲学者だったので、人には言い得ない学者の孤独を少しは分かっているつもりです」。河内さんは「体調管理に気を払ってくれる妻と協力してくれた本田君には感謝しきれない」と話した。

 今年中にゲラの最終校正(7回目)を完了し、出版社などへ話を持ち込みたいと言う。


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■人物略歴
◇かわち・よしひろ
 1928(昭和3)年、佐賀県生まれ。京都大文学部大学院博士課程修了。専攻は東洋史。米・ワシントン大極東研究所に留学。天理大教授などを経て85〜92年、京都大教授。主著に『中国第一歴史档案館蔵 内国史院満文档案訳注 崇徳二・三年分』(松香堂書店、2010年)。









日教授自費出版滿語詞典 曾花20年時間蒐集資料

中國新文網 2013年12月06日

日本《朝日新聞》12月6日報道,日本京都大學名譽教授河內良弘(85歲)將在明年初拿出1000萬日元(約合人民幣60萬元)自費出版一部滿語詞典。這部詞典將印刷500部,收錄的滿語詞條達4萬條,創下日本國內滿語詞典的最高紀錄。

  河內教授是東洋史專家,主要研究滿族的祖先女真。1960年代末,河內在美國的大學學習蒙古語。這是研究女真歷史的重要工具。回到日本後,京都大學的指導教授向他下達了一個意想不到的命令,“你去學習滿語吧”。

  要學習一門外語,詞典、語法書、教材讀本是必不可少的。但是當時的滿語語法書極其有限,詞典也只有二戰前出版的舊書。無奈之下,河內只能自學滿漢文對譯的讀本。不久之後,日本和美國的大學相繼邀請他去授課。

  河內站在講壇上,更切身體會到滿語領域的專家嚴重不足。後來他得到了清朝皇族後代的協助,1996年出版了滿語的語法書和讀本。為了給本次出版的詞典蒐集詞彙,河內教授花了約20年時間,在北京故宮博物院查閱滿語文獻,抄錄了數百頁的筆記。他還從台灣借閱了諸多史料。

  新詞典從21部文獻中收集了4萬個詞條,遠遠超過至今為止收錄詞條最多的滿語詞典(約2萬條)。在完成滿語詞典的編撰後,河內教授將恢復東洋史學家的老本行。

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河內良弘先生,1928年8月於日本九州佐賀縣武雄市出生。1945年佐賀縣唐津初中畢業。1949年佐賀高中舊制文科甲類畢業。1950年任千葉縣成田町立成田初中教師。1951年插班人京都大學文學院二年級,跟隨宮崎市定、佐伯富、佐藤長三教授學習東方歷史。1954年3月京都大學畢業後,又進入京都大學研究生院文學研究部學習。在研究生時代,專心致力于《明代滿蒙史料明實錄抄》的編纂和明代女真史的研究。當時的同學有竺沙雅章、小野和子、勝藤猛等人。1956年開始任天理大學親里研究所助手,同時于1959年3月完成了京都大學研究生院的博士課程。

1960年任天理大學講師,負責外國史、中國史的教學。1968年,任副教授。1973年任教授。其間於1967年至1968年間,入美國華盛頓大學西雅圖大學研究院,在該院的遠東研究所從事蒙古語研究和《金史》的編纂。1978年至1979年,獲美國印地安納大學烏拉爾·阿爾泰學院的邀請,再次赴美,專責滿語教學。1984年以《明代女真史研究》一書獲得京都大學文學博士學位。1985年從天理大學轉任京都大學文學院,任文學院史學部第二講座,教授女真史和滿洲語。1992年《明代女真史研究》由同朋舍出版社出版。1992年退休,重任天理大學文學院歷史文化學科教授,教授史學概論、史學方法、東方史通論,同時負責東方史實習課。1997年獲聘為京都大學名譽教授。1999年,從天理大學退休,並同時獲聘為天理大學名譽教授。

近年,河內良弘先生獲任為京都大學東南亞研究中心協議員會協議員兼史學研究會理事長等要職,同時受聘于東京外國語大學亞非語言文化研究所和國立民族學博物館,任共同研究員。同時還兼任京都大學、奈良女子大學、大阪大學、天理大學、大阪外國語大學、富山大學、崗山大學的特邀講師。



視頻: 搶救滿語的85歲日本老人(日本龍之升中文台):
http://www.tudou.com/programs/view/Owdzjf-7hSk/
http://v.youku.com/v_show/id_XNzAxMjkxMzMy.html



(中正大學滿洲研究班甘德星)

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