2020年7月6日 星期一

河内良弘老師 榮獲第106回日本学士院賞



河内良弘受賞者から研究業績について説明をお受けになる
天皇皇后両陛下


日本学士院は、平成28年6月27日、本院会館において天皇皇后両陛下ご臨席のもと、第106回授賞式を挙行いたしました。式に先立って、各受賞者が両陛下にそれぞれの研究内容やその成果を御説明し、陛下からの御質問に答えました。授賞式では、森和俊氏に恩賜賞・日本学士院賞、河内良弘氏ら8件8名に日本学士院賞、松岡信氏に日本学士院エジンバラ公賞が授与されました。

2020年7月5日 星期日

『歴史学専攻だより』 河内先生の近況報告






『満洲語辞典 改訂増補版』の発刊と『総索引』の編纂
  河内良弘(名誉教授)

 『満洲語辞典 改訂増補版』がようやく出版発売のはこびになりました。前著『満洲語辞典』が発売されたのは2014年6月のことで、さいわい辞典は世の人々の支持を受け、好評を博し、順調に売れゆきを伸ばしてきましたが、このたび誤りを改訂し、更に「満洲語付 六部成語」を増補したうえで『改訂版』を出版することになりました。印刷 中西印刷株式会社 京都、発行 松香堂書店 京都、発売 東方書店その他、定価3万円です。
 実は『満洲語辞典 改訂増補版』と共に『満洲語辞典 総索引』の編集も同時に進行させてきましたが、『改訂版』の方が先にできました。『総索引』の編集も完成に努力しています。
 このたびの『総索引』および『改訂増補版』の出版にさいしては、中国満洲族の人々から多額の寄付金の捐助を受けました。事の発端は2017年末、DCNB 日本龍之昇中文網絡電視台台長の完顔祺閣さんが拙宅に見えてインタービュのマイクをさしだされたことです。私のような一介の日本の貧乏満洲学者の『辞典』のことなど、中国の人々の関心をひくこともあるまいに、と半信半疑で質問に答えました。自分では気がつきませんでしたが、「出版費がない。金がない」と思わず何度か、日頃の思いをつぶやいていたらしいのです。その動画はその日の中に全世界に発信されました。それが人々の目にとまり、注意を喚起し、はからずも『満洲語辞典 総索引編』出版のための捐款(義援金)募集という動きにまでになりました。そして集められた尊い義援金は2018年6月30日、完顔祺閣さんが奈良の拙宅に届けられました。私は驚嘆して言葉を失いました。私は中国の大部分の人々は、一部の研究者を除いては、少数民族の言語などに興味を持つ人はいないだろうと思っていました。しかし目の前にあるこの多額の義援金は、言語と文化の存続と興隆に対する中国満洲族同胞の熱意の結晶です。私は涙の出るほど感動し、この義援金を額におし頂いて感謝し、有り難く拝受しました。
 現在わたくしは中国満洲族同胞の熱い思いを背に受け、『満洲語辞典 総索引』の完成に向け日夜努力しています。


(天理大學『歴史学専攻だより』第8号から再掲しました)

2020年7月4日 星期六

満洲語辞典 改訂増補版




河内良弘 編著/本田道夫 技術協力
出版社:松香堂書店出版年:2018年10月
1284p
コード: ISBN/ISSN 9784879747457
価格 33,000円


1937年刊行の『満和辞典』(京都帝国大学満蒙調査会発行)以来、77年ぶりとなる満洲語の辞典。故宮博物院(北京)所蔵史料を中心に、著者が20年の歳月をかけて20余種の文献から集めた語彙約4万語を収録する。本文は横書き。見出し語はメーレンドルフ(P.G.von Mollendorff)の音訳法に従ってローマ字化し、アルファベット順に配列。見出し語のローマ字、満州文字、品詞、番号、日本語訳、見出し語漢訳、出典、(あれば)用例、用例の出典の順で記す。本書の刊行に対し、2016年日本学士院賞が授与された。
初版の刊行(2014年)直後より改訂の努力を重ね、4年の歳月をかけて満洲語訳入り『六部成語』の増補入力他、増補改訂を実現した。


■『改訂増補版』の発刊に寄せて:
『満洲語辞典』が初めて刊行されたのは2014年(平成26年)6月のことである。それは『満和辞典』の刊行された1937年(昭和12年)以来77年ぶりのことで、研究者間の潜在的ニーズにもこたえた為であろうか、さいわい辞典は世の人々の支持を受け、好評を博してきた。しかし初版本『満洲語辞典』の「編者のことばに」に「辞典は完成してからが本番で、刊行後もただちに改訂に備えなければならない」と述べたように、すぐさま他日の改版に備え、努力を続けた。また人々の要望にこたえ満洲語訳入り『六部成語』を増補入力した。『改訂増補版』の出版にさいしては、今回もまた本田道夫教授の技術協力を得た。
また平成28年6月27日、『満洲語辞典』の満州学研究進展への貢献に対して、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぎ、日本学士院において日本学士院賞を授与された。この光栄と感動を日ごとの支えとし、満州学の発展に一層努力したいと思う。  河内良弘(2018年8月7日)


■新聞評:
「4万語収録の『満洲語辞典』――北京や台北に眠る清朝の満洲語文献。その解読に不可欠な満洲語を伝えるため、国内最多の4万語を収めた辞典を自費出版する。集めた語句は約4万語に及び、これまで最多だった辞典を超える。」(『朝日新聞』2013年12月6日『ひと』欄)

「絶滅寸前 満洲語の辞典――北京の古文書館などに私費で足を運び、硬い岩盤にノミ一本で立ち向かうような作業を続けること二十余年。収録数約4万語、約1200ページにのぼる辞典がようやく完成した。」(『毎日新聞』2013年11月9日)

目次:
『改訂増補版』の発刊に寄せて
編者のことば
Ⅰ 『満洲語辞典』以前
 一、『満和辞典』について
 二、『満洲語辞典』編纂への始動
Ⅱ 『満洲語辞典』編纂の過程
 一、「黒竜江省満語研究所」との共同編纂を模索
 二、コンピューター・ソフトの開発
 三、データの入力作業
 1.『清文鑑』の日本語訳の入力。初校から第5校へ
 2.『六清全書』『清文備考』『同文彙集』『摺奏成語』『清文総彙』の入力
 3.『六部成語』の入力
 4.用例の入力
Ⅲ 謝辞
Ⅳ 『満洲語辞典 総索引編』出版捐款の拠出への謝辞
Ⅴ 趙阿平 訳『満洲語辞典』的編纂出版及学術価値
Ⅵ 『満洲語辞典』凡例
Ⅶ 『満洲語辞典 改訂増補版』
あとがき
著者および技術協力者略歴

■編著者紹介
河内良弘(かわち・よしひろ) 1928年(昭和3年)生、京都大学文学部史学科大学院博士課程修了、米国ワシントン大学留学。1973年天理大学教授、1985年京都大学文学部教授。天理大学名誉教授、京都大学名誉教授。黒竜江大学満族語言文化研究中心栄誉教授。主要著書に『明代女真史の研究』(同朋舎)、『満洲語文語辞典』(京都大学学術出版会)、『中国第一歴史档案館蔵 内国史院満文档案訳註 崇徳ニ・三年分』(松香堂書店)、『満洲語辞典』他多数。2016年日本学士院賞受賞。

2020年6月30日 星期二

MSG, Harvard, 2020





今年6月, 哈佛大學的滿洲研究網站重新運作,Saksaha各期也全部收入其子欄目中。網站現由中國學者邊和主編。邊和,哈佛大學科學史博士(2014),博士論文為"Assembling the Cure: Materia Medica and the Culture of Healing in Late Imperial China". 

邊和曾隨歐立德教授學滿文。在哈佛(助教)及加州伯克萊大學(暑期)短暫教授滿語。現在是普林斯頓歷史系及東亞系合聘助理教授。

相關的滿洲著作有"Of Wounded Bodies and the Old Manchu Archive: Documenting Personnel Management in the Early Manchu State", Saksaha,Volume 16 (2019).



(滿洲研究班甘德星)


2020年6月27日 星期六

乾隆得勝圖




乾隆帝治下の六十年は清朝文化の極盛期であるとともに、軍事的膨張の時代であった。今日の中国の国境線はほぼ乾隆時代に形作られた。辺境を制圧するため乾隆はその治世中10回の軍を起こし、すべてに勝利を収めたため、その偉業は世に「十全武功」と称されている。中でも乾隆は中央アジアの征服を自祝するため、カスティリオーネなど宮中の西洋画家にその戦闘の状景を描かせ、それをフランスに送り16枚からなる銅版画を作成した。

東西文化交流史上まれに見る珍品として世に名高い「準回両部平定得勝図」がそれである。乾隆はその後さらに、両金川、安南、台湾、狆苗、廓爾喀などの戦図を制作したが、王侯や功臣に下賜されたのみで、今日伝存きわめて稀である。今回ロシア科学アカデミー東洋写本研究所等の蔵品により、これら戦勝図のすべてを原寸大で複製刊行する。


解説:高田時雄 (京都大学人文科学研究所教授)
京都:臨川書店, 2009
ISBN978-4-653-04070-5(セット)

                                      

「乾隆得勝圖」全7圖80枚 


平定西域戰圖 全18枚  2009

乾隆30~39年/1765~1774
本体180,000円+税
ISBN978-4-653-04071-2
乾隆御筆序
01.平定伊犂受降
02.格登鄂拉斫營
03.鄂壘扎拉圖之戰
04.和落霍之捷
05.庫隴癸之戰
06.烏什酋長獻城降
07.黒水圍解
08.呼爾滿大捷
09.通古思魯克之戰
10.霍斯庫魯克之戰
11.阿爾楚爾之戰
12.伊西庫爾爾之戰
13.拔達山汗納款
14.平定回部獻俘
15.郊勞回部成功諸將士
16.凱宴成功諸將士
傅恆等跋
(底本:ロシア科学アカデミー東洋写本研究所蔵)


平定兩金川得勝圖 全16枚  2012
乾隆42~46年/1777~1781
本体160,000円+税
01.収復小金川全境
02.攻克喇穆喇穆山梁及日則丫口
03.攻克日旁一帶碉寨
04.金川平定御午門受俘
05.攻克宜喜達爾圖山梁
06.攻克羅博瓦山碉
07.攻克康薩爾山梁碉寨木城
08.攻克木思工噶克ㄚ口等碉柵
09.攻門勒烏圍
10.攻克菑則大海昆色爾山梁並拉枯喇嘛寺等處
11.攻克科布曲索隆古山梁等處碉寨
12.攻克宜喜甲索等處碉卡
13.攻克石真噶賊碉
14.攻克噶喇依賊巢
15.於郊臺迎勞將軍阿桂凱旋將士等
16.紫光閣凱宴成功諸將士


平定臺灣戰圖 全12枚  2010

乾隆53~55年/1788~1790
本体140,000円+税
ISBN978-4-653-04072-9
01.大剿諸賊開通諸羅並進攻斗六門
02.大埔林之戰
03.攻克斗六門
04.攻克大里杙賊巢
05.集集埔之戰
06.攻勦小半天山賊匪
07.生擒逆首林爽文
08.大武壠
09.枋寮之戰
10.生擒莊大田
11.抵厦門登岸並巴圖魯侍衛等皆平安渡海凱旋
12.賜凱旋将軍福康安參賛海蘭察等宴
(底本:ロシア科学アカデミー東洋写本研究所蔵)

平定苗疆戰圖 全16枚
乾隆60年/1795
定価160,000円+税
ISBN978-4-653-04074-3
01.興師
02.勦捕秀山苗匪至湖南界
03.攻克木山
04.大勦逆苗攻解松桃之圍
05.攻克蘭草坪滾牛坡勦戮苗衆
06.大勦土空寨苗匪解永綏城圍
07.攻克黄瓜寨賊巢
08.攻克蘇麻寨一帶賊巢
09.攻圍髙多寨生獲逆首呉半生
10.攻得茶它柳?等處賊巢
11.攻克廖家沖生擒首逆石三保
12.官兵攻克平隴賊巢
13.捷來
14.攻克石隆苗寨陣斬石柳鄧
15.收復乾州
16.攻克強虎哨

平定安南戰圖 全6 枚  2010
平定狆苗戰圖 全4 枚
乾隆55年/1788
嘉慶3 年/1798
本体120,000円+税
ISBN978-4-653-04073-6
01.嘉觀訶之戰 
02.三異柱右之戰
03.昌江之戰
04.市球江之戰
05.富良江之戰
06.阮恵遣姪阮光顯入覲賜宴之圖

01.剿捕狆苗南籠圍解
02.攻克洞洒當丈賊巢首逆七鬚王囊仙就擒
03.攻克北?巴林賊巢擒獲首逆王抱羊苗疆底定
04.剿淨狆苗餘黨全黔底定
(底本:ロシア科学アカデミー東洋写本研究所蔵)

平定廓爾喀得勝圖 全8 枚  2010
乾隆60~嘉慶元年/1795~1796
本体100,000円+税
01. 攻克擦木
02 攻克瑪噶爾轄爾甲
03. 攻克濟嚨
04. 攻克熱索橋
05. 攻克協布嚕
06. 攻克東覺山之圖
07. 攻克帕朗古
08. 廓爾喀陪臣至京



2020年6月25日 星期四

乾隆御製台灣滿漢文碑



滿洲皇帝的漢化與大一統中國觀:
乾隆五十三年御製台灣滿漢文碑的「碑石性」研究

甘德星


摘要
碑石有其「碑石性」,為建碑者形塑社會集體記憶、強固國家論述之用。透過碑文的主觀敘事,「碑石性」的文化、政治意涵,得以彰顯。乾隆53年,林爽文之亂平定,乾隆將之列為「十全武功」之一,並於臺灣建十碑,以誌其盛。林爽文之亂,雖不能和伊犁、回部、金川的邊亂相比,但臺灣「孤懸海外,與內地不同,故乾隆亦不以小事視之。這可從乾隆事後另將碑文製成緙絲、墨刻、玉冊,以及銅戰圖以作紀念得到證明。一般以為碑文乃儒臣代筆。其實,十碑的碑文乃乾隆御製,並且是先寫漢文,後譯滿文,其中的命於臺灣建福康安等功臣生祠詩以誌事》的漢文碑文更是御筆。值得注意的是,與「御製碑」有關的其他書寫,如緙絲、玉冊、墨刻上的碑文,和《平定臺灣戰圖》上的御筆、印章全為漢文,可見「御製碑」滿文碑只是聊備一格的製作。乾隆其實是個十分漢化的滿洲中國皇帝,其立碑台灣之舉,乃傳統中國皇帝「普天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王臣」思想的反映。因此,御製」可視作滿洲中國皇帝乾隆在臺灣的石化分身,也是乾隆作為大一統君主的具體註腳。



一、前言:碑石與「碑石性」
二、乾隆御製臺灣滿漢文碑
三、乾隆的感情投注:御製與御筆
四、乾隆的漢化思維:碑文的先漢後滿
五、乾隆的中國觀:「滿洲面具」背後「漢人身體」的折射
附錄1.《命於臺灣建福康安等功臣生祠詩以誌事》碑文
附錄2. 滿文《清實錄》所載《命於臺灣建福康安等功臣生祠詩以誌事》


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五、乾隆的中國觀:「滿洲面具」背後「漢人身體」的折射

(節錄)


「御製碑」碑文的製作之所以先漢後滿自然與滿人「身體」的深度漢化有關。看來,乾隆雖「夙善國語」,但遇到複雜的問題或者需要作冗長的敘述時,仍傾向用漢文表達。乾隆的思維之所以不得不受漢文左右,是因為滿文並沒有足夠的詞彙全面應對複雜的外在情境。因此,乾隆振興滿文的目的,在於以之作為民族標記和正統的表徵,多於以之作為平常日用的實用語言。「御製碑」中的滿文碑只是聊備一格的製作。

乾隆的思考方式,因受漢地文化符號的制約,基本上乃從中國本位出發。他的天下觀,與傳統中國的儒家君主無異。在《御製平定臺灣告成熱河文廟碑文》的繫辭篇首,他指出康熙時臺灣之入於中國版圖乃朱明對臺灣認知的後繼(滿、漢文,行17)。在《御製平定臺灣二十功臣像贊序》中,他將自己和開疆拓土的光武帝相比,並引用《詩經》中的《采薇》、《出車》、《祈父》、《北山》諸章來說明佳兵黷武」的不可(滿、漢文,行5-6、13-16)。在《御製剿滅臺灣逆賊生擒林爽文紀事語》中,他又以自漢至明的日蝕為例,說明這個自然現象與出兵臺灣的關係(滿、漢文,行20-22)。

乾隆自覺是中國的天子/Abqai jui。在「御製碑」各碑文中他多次公開宣示自己因賴上天眷佑而得以平定叛亂。作為「撫育天下」的天子,乾隆視「普天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王臣」(《詩經.小雅.北山》)。臺灣「御製碑」是實踐這個傳統抽象政治概念的有效「技藝」(technology)之一。就「土」而言,「御製碑」的佈置猶如大清「地體」(geo-body)南北縱深的視覺再現:碑石由南而北,從臺灣經對岸廈門,一直伸延至滿洲龍興之地的東北。銘刻於其上的是盛清武功的欽定集體記憶。碑文中屢屢述及林爽文之亂的平定,乃來自全國各地的猛將(福康安、海蘭察、烏什哈達)精兵(閩、浙、桂、川、湖、黔、粵各省),聯同臺灣的官軍義民協力而成。透過碑文在多地的「複製」,乾隆將「遠隔重洋」的臺灣孤島,重新納入大清「想像共同體」之內,其作用與御賜諸羅嘉義之名,實有異曲同工之妙。就「臣」而言,碑文中提到原來「非我臣僕」的臺灣「生番」,儘管彼等位處國家邊緣的邊緣,但乾隆仍以其平亂有功,將之載錄於《職貢圖》之中,以示「生番」並非邊陲的化外遊民,而為隸於大清版圖的「人類」。

作為一個象徵大一統的符號,「御製碑」不啻是乾隆重申已內地化的臺灣,乃大清不可分割之一部的強烈政治宣言,並且是其於亂後,重新確立統治合法性的歷史見證。表面上,「御製碑」看似只針對臺灣一隅,但實質上,若將之置於全國的大格局來考察,其背後實隱含國家整體地理空間的內在聯繫,臺灣乃繼蒙(準部)、回(回部)、藏(金川)域外三地內屬滿洲之後,重歸大清的漢人邊地,宜乎其碑文,與彰顯盛世意象的「十全武功」御製碑文的「文類」(genre)相一致,其意義已超越當下地方亂平的記憶,而轉化為大清國史大敘事(grand narrative)的有機一環。


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(全文見《中國邊政》,第221期(2020年6月),頁85-132




2020年6月19日 星期五

錫伯族研究






作者: 克力 / 博亞 / 奇車山
出版社: 新疆人民出版社
出版年: 1990-10
頁數: 418
定價: 4.85元
ISBN: 9787228013845


目錄 

序(仲生)
錫伯族源資料研究成果及新資訊(賀靈)
吉林烏拉錫伯世管佐領源流考(趙志強、吳元豐)
黑龍江地區錫伯族的歷史變遷(趙志強、吳元豐)
索倫與“錫伯索倫”(博雅、克力)
關於錫伯語的地位問題(胡增益)
反身領屬範疇在錫伯語中的補償手段(李淑蘭)
手抄本滿文文獻中的書寫變體和錫伯語口語(奇車山)
錫伯語書面語的母音和諧律及其作用(餘吐肯)
錫伯語滿語語音演變的比較(趙傑)
關於“吉甫西”語的探討(蘇德善)
錫伯族民間文學概論(堆奇)
錫筆臣及其《離鄉曲》(何葉爾)
輝番卡倫來信評介(肖夫)
喀什噶爾之歌評介(博雅)
談錫伯族《三國之歌》(郭基南)
錫伯族人民中獨領風騷的詩人——柏雪木(中孚)
錫伯族薩滿歌舞和巫術的表現形式(忠勇乏)
錫伯族薩滿歌初探(賀靈)
錫伯族薩滿歌與滿族尼山薩滿(賀靈)
解放前伊犁錫伯族的教育(蘇德善)
錫伯語地名語詞淺析(英林)
“察布查爾”一詞考辨(英林)
察布查爾錫伯族社會文化調查(佟克力)
塔城喀拉哈巴克鄉錫伯族社會文化調查(賀文君)
鞏留縣錫伯族歷史概述(傅金城)
錫伯語述評([波蘭]C.卡魯仁斯基著,佟玉泉譯)
關於錫伯語( [日]早田輝洋著,朝克譯)
伊犁塔城地區錫伯族薩滿教現狀簡述( [俄]H.克洛特科夫著,佟玉泉譯)
錫伯族研究論著索引(佟克力輯)



2020年6月8日 星期一

香港滿族文化協會章程


第一章 總則
第一條:本會名稱:香港滿族文化協會,Hong Kong Manchu Nationality Culture Association。
第二條:本會會徽:徵集中。
第三條:本會宗旨:團結香港一切愛祖國愛香港並願意弘揚滿族文化的社會團體和人士,致力於弘 揚源遠流長,博大精深的滿族文化,促進香港及海內外文化藝術的創作與交流,促進香港文化事業的發展,促進香港「一國兩制」的成功實踐和社會穩定繁榮,促進祖國統一大業早日實現,為把香港建設成為國際文化大都會而貢獻力量。
第四條:本會性質:弘揚鄉邦文化,服務桑梓,聯絡團結滿族同胞,挖掘,整理,研究滿族歷史,文化,民俗等為祖國經濟發展,社會進步服務。
第五條:本會監管:本會接受香港特別行政區政府指導和監督。
第六條:本會會址:香港東涌逸東二座滿逸樓2608室
第七條:本會會刊:創建獨自經營和管理的會刊,在未創辦之前,覱在網路等刊出消息和文章。

第二章 理事
第八條:凡愛祖國愛香港,熱心從事文化藝術活動,並獲較好成績者,承認本會章程,經兩位本會理事介紹,填具申請表,並經本會常務理事會通過,即成為本會理事。
第九條:本會經費:社會人士資助及經由常務理事會通過之籌款活動所得。本會為不牟利的社會文化藝術聯合團體。
第十條:本會理事要求退會,得以書面函達本會會長,並在常務理事會備桉,經批准後即行生效;如本會理事有違反本會章程或損害本會利益和聲譽者,經本會秘書會議審查,報經常務理事會覆核,並呈報會長會議批准後,即開除會籍。
第十一條:本會理事享有選舉權,罷免權及參與本會一妾事務和活動的權利。

第三章 組織機構
第十二條:本會設會長一人及副會長若干人,第一屆人選由理事大會籌備委員會協商產生,以後每屆人選由會長會議及理事長會議協商產生。
第十三條:本會常務理事會設秘書長一人,副秘書長若干人,理事長一人,副理事長若干人,理事長,理事由常務理事會選舉產生。
第十四條:本會副會長,秘書長,副秘書長,理事長,副理事長均為本會常務理事。
地十五條:本會設秘書長一人,副秘書長若干人,司庫一人,副司庫一至兩人,由會長代表本會予以任命。
第十六條:常務理事會為本會理事大會常設機構,每屆理事大會閉會期間,由常務理事會負責行使理事大會的權利並負責處理日常事務.會長會議,為本會常務理事會最高決策機構,行使本會一切權利.會長為本會法定代表人,負責主持本會的工作,副會長為本會的主要領導人,負責協助會長主持本會日常工作.理事長在會長和會長會議領導下,執行會長和會長會議交辦的任務,並負責常務理事會的日常工作,副理事長協助理事長處理常務理事會的日常工作.秘書長在會長,副會長領導下,負責處理本會的日常性具體事務和會長,副會長交辦的各項工作.
第十七條:常務理事會由會長主持,或由會長授權副會長,理事長主持,常務理事會會議半年召開一次,或由會長臨時召集舉行.監事長會議由監事長主持,不定期召開.
第十八條:本會聘請國家領導人和香港社會名流,知名人士擔任榮譽會長,創會會長及名譽會長,顧問,具體人選由本會理事大會籌備委員會或會長會議決定.榮譽會長,創會會長及名譽會長,顧問不參與本會選舉事務.首屆會長任期屆滿不在擔任常務理事時,則自然成為創會會長,以後各屆會長任期屆滿不再擔任常務理事時亦自然成為名譽會長.
第十九條:本會五年為一屆,會長與副會長及秘書長,副秘書長.理事長副理事長,任期均為五年,可連任.除第一屆人選由本會籌備委員會協助推薦外,以後各屆常務理事候選人有理事提名或理事自薦,於指定日期內函交常務理事會,再由常務理事會理出名單,報經會長會議通過,於換屆時由理事大會選舉產生。
第二十條:本會設立若干專門委員會,負責本會各方面專業性的工作及負責本會內各團體的聯絡工作.

第四章 理事大會
第二十一條:本會五年舉行一屆理事大會,每年舉行一次理事年會,由會長代表常務理事會向理事大會或理事年會做工作報告.常務理事會應與理事大會或理事年會舉行之十日前,以郵遞或直接通知形式,函達各理事有關大會的舉行時間及日期,若理事不能如期出席大會,必須知會常務委員會,理事會議無論出席會議的理事人數多少,會議延長半小時,均作為法定人數而如期舉行,其超過半數以上到會理事通過的各項決議均為法定有效決議.
第二十二條:本會理事年會以外任何理事大會,均屬特別理事大會,特別理事大會的特別議桉,必須有道會理事三分之二以上人數贊成,方為有效,本會理事有權要求召開特別理事大會,唯須向常務理事回遞交有關書面函件,敘明召開特別理事大會之理由,並獲本會三分之一以上理事聯名簽署方為有效,所有特別理事大會的通知方式和程式,均與理事大會或理事年會相同。

第五章 會員大會
本會的會員分為單位會員和個人會員兩類。
申請加入本會的會員,必須具備下列條件:
一、擁護本會的章程;
二、有加入本會的意願;
三、孝順父母,尊老愛幼;
四、有一定的文化水準和工作能力;
五、在本會的業務領域內具有一定的影響。
會員入會的程式:
一、提交入會申請書;
二、經常務理事會討論通過;
三、經理事會授權的機構發給會員證。
會員享有下列權利:
一、本會的選舉權、被選舉權和表決權;
二、參加本會的活動;
三、獲得本會服務的優先權;
四、對本會工作的批評建議權和監督權;
五、入會自願、退會自由。
會員履行下列義務:
一、執行本會的決議;
二、維護本會合法權益;
三、完成本會交辦的工作;
四、向本會反映情況,提供有關資料。
五、會員退會應書面通知本會,並交回會員證。
六、 會員如有嚴重違反本章程的行為,經理事會或常務理事會表決通過,予以除名。
組織機構和負責人產生、罷免
會員大會(或會員代表大會)的職權是:
一、制定和修改章程;
二、選舉和罷免理事;
三、審議理事會的工作報告和財務報告;
四、決定終止有關事宜和其他重大事項。
五、會員大會(或會員代表大會)須有2/3以上的會員(或會員代表)出席方能召開。其決議須經到會會員(或會員代表)半數以上表決方能生效。
六、會員大會(或會員代表大會)每屆5年。因特殊情況要提前或延期換屆時,須由理事會表決通過,但延期換屆最長不超過1年。七、 理事會是會員大會(或會員代表大會)的執行機構。在閉會期間領導本會開展日常工作,對會員大會(或會員代表大會)負責。

第六章 資產與財務
第二十三條:本會每年度的財務收入與支出均須秘書長辦公議向常務理事會提出年度預算報表,並經會長會議批准列入預算計畫,嚴格控制,不得無故超支.每年司庫應向會員達會報年度財務收支報告.

第七章 銀行戶口
第二十四條:本會在銀行所開立之有關戶口,由會長主簽,並可由司庫及一位副司庫聯合簽署開立.

第八章 解散
第二十五條:本會解散須由會長會議和常務理事會討論決定,並須召開理事大會表決,經理事大會三分之一或以上理事投票,方為有效.

第九章 附則
第二十六條:本會章程即行生效,如須修改,必須提交常務理事會討論並通過社團註冊官函批准.
香港滿族文化協會一致通過。

二00五年九月


2020年5月19日 星期二

蒙古國新發現六世紀婆羅米文原始蒙古語碑文


何啟龍 

      1975年,蒙古國學者達納旺 (D. Navan) 報告在鄂爾渾河旁邊的山頭發現一塊石碑。2013年夏,日本的突厥史學者大澤孝 (OSAWA Takashi) 重新考察並初步公佈這道碑文。碑文位於鄂爾渾河 (Orkhon) 以東、土拉河 (Tuul) 以西的闊亦思山頭 (Khüis Tolgoi),在蒙古和林城遺址以北100公里多。這道碑以西170公里就是著名的《布古特碑》,碑的三面是用粟特文 (Sogdian) 寫的,餘下的一面則是用婆羅米文 (Brahmi)寫的。粟特銘文早被解通,提及他鉢可汗 (Tatpar Qaγan,西元572—581),屬突厥第一王朝(藍突厥 Kök Turk)泥利河汗 (Niri587—604) 時期。  然而,布古特碑的另一面婆羅米文只被認為是佛教經文,未有被認真理會。重新發現的這道《闊亦思碑》,通篇只有婆羅米字母。現在,兩道終於引起了關注。
絲路綠洲的婆羅米字母文書,一律從左至右寫,行數從上而下排列。但兩道碑文婆羅米字母卻是以音節為單位,每行從上往下寫,再由右至左排。婆羅米文專家迪特毛額 (Dieter Maue)、阿爾泰語言學者武阿勒 (Alexander Vovin) 等鑽研解讀文字。終於,他們發現兩道碑文的婆羅字母是在拼寫一種蒙古語系的語言! 這發現震憾學界,它是比1225年的蒙古文《移相哥碑》要早600年。它也比第二突厥王朝的突厥魯尼文諸碑文早100年。蒙古語系之中,比13世紀蒙古語更古老的一手資料太過稀少。10世紀,遼朝的契丹文字仍然有大半未能破解。闊亦思碑與布古特碑的婆羅米碑文只有共30行約100生詞,已大大有助於重構原蒙古語 (Proto-Mongolic),對整個阿爾泰語言 (Altaic languages) 研究是大有裨益。 最意想不到的,是突厥第一王朝竟然不是使用魯尼文拼寫突厥語,而係使用蒙古語系的語言!碑文刻寫時距柔然滅亡還未夠五十年。這種蒙古語系語言 (Mongolic) 就是柔然──鮮卑語。為甚麼不拼寫突厥語,而繼續使用亡國的柔然語?可能跟佛教有關。兩道碑文都滲出佛教色彩。突厥人如柔然人一樣敬禮佛教,另這種婆羅米字柔然鮮卑語作為宗教語言的繼續使用著。突厥第一王朝 (581-630) 被唐太宗李世民消滅吞併。經歷了亡國而復國,突厥第二王朝 (682-745) 有極深的突厥人本位主義,掃除佛教,排拒漢人物質享樂,拒絕定居,堅持遊牧風尚,更創製自己的文字──突厥魯尼文。這套突厥魯尼文是以粟特文為基礎,加入了一些突厥語表意符號融合而成。此刻,依附著草原佛教僧團的婆羅米字柔然鮮卑語到了盡頭。
一百年前,藍司鐵 (Ramstet)、伯希和 (P. Pelliot) 提出原始蒙古語 (Proto-Mongolian) 擁有清雙唇音 *p- 的首輔音;而它到了13世紀中古蒙古語 (Middle Mongolian) 變成了 *h-,並最終消失 (*p- > *h- > *Ø-)。現在,兩碑提供了一手的原始資料,證明了當初藍司鐵與伯希和推斷正確:
1. 狐狸püneken  (Bugut 9) >  *hünegen「忽捏堅」《秘史》247> 現代ünegen
2. 牛  püker  (Bugut 9)  >  *hüker「忽客兒」《秘史》100節  > 現代üker
3. 人口paran  (Bugut 13) > *haran「哈蘭」《秘史》39節   > 現代 aran
見微知著,學界理當重拾藍司鐵構擬的原始蒙古語。只要配合六世紀婆羅米字蒙古系語文,以一手資料修正理論之不足,必定能更接近歷史原貌。


la Vaissière, Etienne de (2018),
“The Historical context to the Hüis Tolgoi inscription”, Journal Asiatique, vol. 306: issues 2, pp. 153–157.

Maue, Dieter (2010)
“Non-Indian Brāhmī scripts along the Silk Roads”, https://www.academia.edu/8346125/NonIndian_
Br%C4%81hm%C4%AB_scripts_along_the_Silk_Roads._2010

Dieter (2018)
“The Khüis Tolgoi inscription - signs and sounds”, Journal Asiatique, vol. 306: issues 2, pp. 291–301.

Maue, Dieter (2019).
The Brahmi script on the Bugut stele”, Journal Asiatique, vol. 307: issues 1, pp. 109–119.
Vovin, Alexander 武阿勒 (2007).
Once again on the Tabgač language, Mongolian Studies, XXIX, pp. 192-206.

Vovin, Alexander  (2018).
An Interpretation of the Khüis Tolgoi Inscription”, Journal Asiatique, vol. 306: issues 2, pp. 303–313.

Vovin, Alexander (2019a).
“A Sketch of the Earliest Mongolic Languages: the Brahmi Bugut and Khuis Tolgoi Inscriptions”, International Journal of Eurasian Linguistics, vol. 1: issues 1, pp. 162–197.

Vovin, Alexander (2019b).
“Groping in the dark, the first attempt to interpret the Bugut Brahmi inscription”, Journal Asiatique, vol. 307: issues 1, pp. 121–134.

YOSHIDA, Yutaka 吉田豐 (2019). 
“Sogdian Version of the Bugut Inscription Revisited”, Journal Asiatique, vol. 307: issues 1, pp. 97–108.



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何啟龍,南京大學歷史學博士,蒙古學專家,香港教育大學客席講師。全文見蒙古國新發現六世紀婆羅米文原始蒙古語碑文跟柔然鮮卑語考證 ──兼論土族語 (Monguor) 跟吐谷渾語的關係〉,《清華元史》(待刊)。


2020年4月10日 星期五

清朝雍正五年(1727年)恰克圖條約有關東正教傳教團的條款

彭楨儒,中正大學碩士研究生,專研滿文聖經.曾學習滿、英、俄、希臘等語文.恰克圖條約(Кяхтинский договор)無漢文本,現請其將條約中第5條有關東正教的部分翻譯成漢文,以利其他學者研究.譯文經本人過目.條約原件現藏於臺北外雙溪國立故宮博物院。(甘德星附識)
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恰克圖條約 關於傳教團條文部分


Emu xacin. Ging hecen-de bisire Oros Guwan-de. ereci amasi yaya jidere Oros niyalma-be teiile tebumbi. Oros gurun-i elcin. Iliri bai Gung Sawa-fu-la-dis-la-fi-cy' miyoo weiileki sere-be. Dulimbai Gurun-i Oros-i baiita icihiyara amban. aiisilame Oros-i Guwan-de miyoo weiilehe. Ne ging hecen-de bisire emu lama-be tebumbi. geli niyeceme ilan lama unggiki seme gisurehe-be. gisurehe songqoi jai ilan lama unggimbi. Benjime isinjixa manggi. inu neneme jihe lama-i songqoi kunesun icihiyafi, ere miyoo-de tebumbi. Oros-se ceni doroi fucihi-de hengkilere. ging xôlara babe iliburaqô obuxa. jai Oros gurun-i elcin Iliri bai gung Sawa-fu-la-dis-a-fi-cy' ging hecen-de bibufi. bithe tacire Oros-i duiin ajige juse. Oros. Latinu-i bithe gisun baxanara juwe amba niyalma-be inu ere bade tebufi. gemu alban-i kunesun. jetere jaqa bufi ujimbi. bithe tacixa erinde. amasi γamara-be tuwame γamakini..

一.京城的俄羅斯館,從今起只讓所有到來的俄羅斯人居住。俄羅斯國的使者,Iliri公薩瓦欲建廟,因此,中國辦理俄羅斯事務大臣協助其於俄羅斯館建了廟。今讓京城一喇嘛居住,議欲再增派三名喇嘛。依議,再派遣喇嘛三名前來。送來後,亦照先前來的喇嘛安排口糧,讓其住於廟中。俄羅斯人彼等依禮拜佛念經,不要禁止。再,讓俄使Iliri公薩瓦留在京城,來學的俄羅斯四個小孩與通曉俄、拉丁語文的兩名大人也讓其住於此,皆給予公糧食物供養。於學習完了時送回。照此,著將彼等送回。



(中正大學滿洲研究班 彭楨儒)



2020年4月8日 星期三

清中葉西北邊地行程





清代邊疆各地間的行程所需時日,從大清一統天下(1818)中的描述可以大略窺見。陸路由阿爾泰山 到 嘉峪關需時兩個月,而從嘉峪關行十一二日可至哈密,從哈密到吐魯番則需行十二三日。據此,可以推斷清代邊疆由某地到某地的大約時程。


(國立中正大學滿洲研究班甘德星)